自縄自縛(じじょう じばく) 1
『自分の縄で 自分を縛ることから、自分自身の考えに縛られて
動きがとれずに苦しむこと。』
ジープに揺られて 次の街の門が見えてきた頃。
三蔵が 確認するように ひと言指示した。
「八戒 この街には 知り合いがいる。
寺院だから 泊めてくれるだろう、そこへ行ってくれ。」
三蔵に知り合いがいてもおかしくはないが、珍しいこともある。
三蔵法師としての知り合いなら それこそ星の数ほどいそうだが、
そんな相手にわざわざ会いに行くとも思えない。
三蔵が わざわざ会いに行く人物。
それはすなわち 三蔵個人の知り合いという事になる。
が 知っている三蔵は 金山寺の三蔵だけなので、光明三蔵が亡くなってから
一度山を降り 経文を探して旅に出たときに 出会った人たちだろうとは思った。
ジープが止まって 降りた先は 田舎のほどほどの大きさのお寺だった。
質素だが こぎれいに掃き清められた境内。
本堂の脇にある お食堂や庫裏も簡素ながらも 整えられているように見える。
三蔵は その庫裏の玄関の引き戸を開けると 呼び鈴代わりの板を小槌で叩いた。
「はーい、どちらさまですか?」と 若い女の声がして そこへ現れたのは、
年の頃なら18歳くらいの可愛い女性だった。
彼女は 三蔵を見るなり「うわぁ〜、玄奘様 お久しゅうございます。
お元気であられましたか?
あっ こんな所ではなんですから、お連れの皆様もご一緒に
どうぞおあがり下さい。」と 三蔵の後ろにいたたちに声を掛けた。
荷物を運んだり旅支度をとく間もその女性は 三蔵から離れようとはしなかった。
いつもなら 女を寄せ付けない三蔵も 知り合いなので 許している。
三蔵以外の3人は その様子に を気遣ったが、
気にも留めていないといった の笑顔に 胸をなでおろした。
廊下を歩きながら 「三蔵も隅に置けないねぇ〜、
あんな可愛い子の知り合いがいるなんてさぁ。」と悟浄がからかいの言葉を発した。
その言葉に後ろを振り返った三蔵は 悟浄の隣にいたとも目が合った。
「8年も前のことだ。」と 言い捨てるように言って また 前を向く。
やはり 1人で経文を探していたときのことなんだと は思った。
悟浄の言葉に 気持ちが揺れたのではない、彼女の三蔵を見る目の輝きが
恋をする人の目であると は気が付いてしまったのだから 仕方がない。
たとえ 10歳の子供であろうとも 恋をする事は出来る。
しかも それは 純粋な気持ちのものだ。
三蔵が 取り上げなければ どうという事もないだろうとは 思うのだが、
自分が その恋の障害になるのかと思うと、気分のよくないであった。
「 大丈夫ですよ。」八戒が に 小声でそう声を掛けた。
それに力なく微笑むと 黙って頷く。
自分以外にも あの瞳の輝きに気が付いた者がいた事に は苦笑した。
そして 八戒は の気持ちを思って 労わってくれたのだ。
居心地が悪いと は思った。
八戒は 人一倍聡い男だから 先回りして 三蔵がを どうかする心配などないと
言いたかったのだろうが、この時点で も三蔵の気持ちを疑ってなどはいない。
それよりも は 自分が酷く汚れているように感じたのだ。
この旅に同行し 死線を潜り抜けて こうしているは、
この手で どれだけの命を奪い それに従属する人たちを悲しませているということを、
ちゃんと知っているつもりだ。
三蔵の側にいる事を 自ら望んでいるのだから、そのために必要な事は
戦い生き抜くことだと 理解したうえでやっている。
だが こうして 何も知らない白い花のような乙女を見た衝撃は、
を 血や怨詛で 汚れた女のように感じさせていた。
一行が 三蔵の古い知人である その 父 青雲と娘 青華の親子の元に 休息をかねて
滞在する事にした事から、その嫌な感じは の精神をさいなむ事になった。
いつものことだが ここが 寺院である以上、三蔵との部屋は別室とされた。
は 三蔵が寺院にいる時は ことさらに近づかない様にしているので、
みんなも が 三蔵の側に寄らなくても 気にしなかった。
だが 三蔵は が自分と目も合わせない事を いぶかしく思っていた。
三蔵一行の世話を 嬉々としておこなっている 青華に対する の態度がおかしい。
必要以上に自分の世話を焼く青華が 側を離れないのを 黙認しているのはいいとしても、
いつもなら が進んでしてくれることも 青華に頼んでいる。
そして 決して 側に来ようともしなければ 話しかけてさえも来ない。
いくら寺院にいても その態度を いつもより疎遠にしているのが 判る。
三蔵が に話し掛けることなど 2人きりのとき以外には めったにない。
それは 2人きりのとき以外は 旅の同行者としての立場を守っているためだ。
そうでなくても 一日中一緒にいるのだから どこかでけじめを付けなければ、
同行する 八戒や悟浄たちが 困るだろうというのが の意見だったので、
三蔵は それに従っている。
寺院にいる時は 女戒のこともあってことさらに 話はしないが、
それでも 時折 笑みを浮かべた優しい眼差しを 送ってくれるのに
どうかしたのだろうか?と 三蔵は気になった。
三蔵と距離を取っているので その分 悟空や悟浄・八戒とは よく話し
相手になるので、三蔵以外の3人は 本当に機嫌がいい。
それがまた 余計に 三蔵を苛々とさせた。
その夜。
八戒と悟浄と悟空の3人に あてがわれた部屋で、
悟空が寝付いたのを確認した悟浄は、隣に眠る八戒に 話しかけた。
「なぁ 八戒、の様子どこか変じゃねぇ?」
「おや 悟浄もそう思いましたか?」
「あぁ 最初は 青華って子への嫉妬かと思ったけどよ。
あれはそうじゃねぇだろ。」
「そうですね 僕もそう思います。
この寺に入って 彼女を見てからのは 三蔵さえ見ないようですし、
悩みという感じでもないですね。」
の変化に 三蔵以外にも 八戒と悟浄は 気付いていたのだ。
「どんなに 離れていても の眼差しには 三蔵への愛がこもってたじゃん。
俺達に気ぃ使ってても 隠せないんだよなぁ ああいうのはさ、
今夜は それさえ無かったみてぇでよ 三ちゃん すげぇ苛ついてたもんなぁ。
俺 何時弾が飛んで来るかと ヒヤヒヤしたぜ。」
「そうでしたね。
それで 悟浄はどうしようと?」
「まあ 犬も食わないかもだし ちょっくら 様子見てみるか?」
「三蔵はともかくとして 問題は のようですから、
僕も気をつけておきます。」
こうして さりげなく は様子を見られる事になった。
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